東大にもっとも近い「筑駒」の神童は、大人になってどうなったのか?

 

筑波大学附属駒場高校(筑駒)は神童の楽園である。とにかく東京大にもっとも近い。合格者数がいちばん多いのは開成だが、合格率となると筑駒は63.8%と群を抜く(1学年定員160人、現役合格は74人。現浪合わせての合格102人)。ちなみに開成は40.5%、灘は43.2%である(2017年)。

 中学受験で筑駒は難易度がもっとも高いといわれている。実際、筑駒と開成、あるいは筑駒と麻布の両方に合格した場合、筑駒を選ぶ生徒のほうが多い。

 日本でいちばん頭がよい小学生が集まってくる筑駒には、神童がひしめいている。 『神童は大人になってどうなったのか』 (太田出版)で神童を追い求めて、筑駒、その前身の教駒(東京教育大学附属駒場高校)OBを探ってみた。

 まずは神童の誉高かったのが日銀総裁の黒田東彦(1963年卒)である。愛称クロトン。

 教駒時代は図書館の本をすべて読みつくしている。東京大法学部在学中に司法試験に合格。国家公務員試験に2番で合格する。卒業時も首席に近かった。黒田の教駒、東京大時代の同級生で政治家になった自民党の細田博之(1963年卒)の話。

「彼は一種の天才ですよ。がり勉タイプではないが、読解力が極めて高く、教科書など書籍を読めば、書かれている内容が一度ですべて理解できてしまう。また無類の本好きで、授業以外の時間は図書館にいることが多かったですね」(「週刊新潮」2013年3月7日号)。

 細田は元通産省官僚である。筑駒OBには官僚からの政治家転身が何人もいる。経産省出身には齋藤健(1978年卒)、鈴木隼人(1996年卒)。齋藤は今年8月に安倍改造内閣で初めて大臣となった。財務省(大蔵省)出身に後藤茂之(1974年卒)、田村謙治(1986年)。警察庁出身の葉梨康弘(1978年卒)。女優の水野真紀を妻に持つ後藤田正純(1988年卒)の大おじは警察庁長官、内閣官房長官、法務大臣をつとめた後藤田正晴だった。

 

官僚・自民党の政治家が多い「本当の理由」

 筑駒では官僚を養成する教育を行っているのか。

 元・大王製紙社長の井川意高(1983年卒)は、筑駒中受験を前に郷里の四国から上京し、帝国ホテルを常宿として代ゼミに通っていた。1980年代の筑駒を振り返る。

「教師の大半は日教組(日本教職員組合)。半分くらいは共産党員。革マル派崩れの教師なんて山のようにいた。世界史の教師なんて学生時代にゲバ棒をもって走ってた元活動家だし、倫理の教師なんて完全にずーっと共産主義思想教育をやってた。とんでもねえ左巻きの学校でしたな」( 『東大から刑務所へ』 幻冬舎、2017年、堀江貴文との共著)。

 話に盛り感はあるにしても、これほど反体制教員が揃えば、国家を守るために官僚、自民党政治家になろうとするのも不思議ではない。筑駒そのものが反面教師だったわけだ。

 なお、井川は大王製紙社長時代に海外のカジノで大負けして、子会社などから106億8000万円を調達して借金のアナを埋めた。東京地検は黙ってはいない。特別背任容疑で逮捕されてしまう。井川を捕まえる検察にも筑駒OBはいた。

 筑駒の「とんでもねえ左巻き」の影響を受けたのかもしれないのが、日本共産党の政治家の小池晃(1979年卒)である、筑駒時代に「平和のために何かをしたい」と民青(日本民主青年同盟)に加入。浪人中の駿台予備学校時代は民青駿台班として活動していた。東北大医学部出身ながら医師よりも政治家を選んだ。現在の肩書きは共産党書記局長。党ナンバー2といわれ、志位和夫委員長の後継者ともウワサされる。

 教駒、筑駒OBでここまでの登場人物は後藤田、小池を除き、すべて東京大出身である。さすが63.8%。

 だが、教駒は早稲田にもしっかり根を張っていた。 

 なんと早稲田大総長が2代続けて教駒出身なのである。第15代(総長在任、2002~2010年)は白井克彦(1958年卒)で、専門は知能情報学。第16代(同、2010年~現在)は鎌田薫(1966年卒)で、民法が専門である。鎌田は早稲田在学中、学生運動に精を出していたと、かつての同級生が話す。

 たしかに、アカデミズムの世界で教駒、筑駒OBがかなり幅を利かせている。若手学者の登竜門ともいうべきサントリー学芸賞受賞者がけっこういる。メディアでの発信力が旺盛な四方田犬彦(1971年卒)、東浩紀(1990年卒)。 同学年で経済学者の大御所の植田和男、吉川洋(いずれも1970年卒)。政治学の牧原出(1986年卒)。 塩出浩之(1993年卒)は、2016年に『越境者の政治史』でサントリー学芸賞、毎日出版文化賞、角川源義賞のトリプル受賞となった。

 

 

官僚・自民党の政治家が多い「本当の理由」

 筑駒では官僚を養成する教育を行っているのか。

 元・大王製紙社長の井川意高(1983年卒)は、筑駒中受験を前に郷里の四国から上京し、帝国ホテルを常宿として代ゼミに通っていた。1980年代の筑駒を振り返る。

「教師の大半は日教組(日本教職員組合)。半分くらいは共産党員。革マル派崩れの教師なんて山のようにいた。世界史の教師なんて学生時代にゲバ棒をもって走ってた元活動家だし、倫理の教師なんて完全にずーっと共産主義思想教育をやってた。とんでもねえ左巻きの学校でしたな」( 『東大から刑務所へ』 幻冬舎、2017年、堀江貴文との共著)。

 話に盛り感はあるにしても、これほど反体制教員が揃えば、国家を守るために官僚、自民党政治家になろうとするのも不思議ではない。筑駒そのものが反面教師だったわけだ。

 なお、井川は大王製紙社長時代に海外のカジノで大負けして、子会社などから106億8000万円を調達して借金のアナを埋めた。東京地検は黙ってはいない。特別背任容疑で逮捕されてしまう。井川を捕まえる検察にも筑駒OBはいた。

 筑駒の「とんでもねえ左巻き」の影響を受けたのかもしれないのが、日本共産党の政治家の小池晃(1979年卒)である、筑駒時代に「平和のために何かをしたい」と民青(日本民主青年同盟)に加入。浪人中の駿台予備学校時代は民青駿台班として活動していた。東北大医学部出身ながら医師よりも政治家を選んだ。現在の肩書きは共産党書記局長。党ナンバー2といわれ、志位和夫委員長の後継者ともウワサされる。

 教駒、筑駒OBでここまでの登場人物は後藤田、小池を除き、すべて東京大出身である。さすが63.8%。

 だが、教駒は早稲田にもしっかり根を張っていた。 

 

 なんと早稲田大総長が2代続けて教駒出身なのである。第15代(総長在任、2002~2010年)は白井克彦(1958年卒)で、専門は知能情報学。第16代(同、2010年~現在)は鎌田薫(1966年卒)で、民法が専門である。鎌田は早稲田在学中、学生運動に精を出していたと、かつての同級生が話す。

 たしかに、アカデミズムの世界で教駒、筑駒OBがかなり幅を利かせている。若手学者の登竜門ともいうべきサントリー学芸賞受賞者がけっこういる。メディアでの発信力が旺盛な四方田犬彦(1971年卒)、東浩紀(1990年卒)。 同学年で経済学者の大御所の植田和男、吉川洋(いずれも1970年卒)。政治学の牧原出(1986年卒)。 塩出浩之(1993年卒)は、2016年に『越境者の政治史』でサントリー学芸賞、毎日出版文化賞、角川源義賞のトリプル受賞となった。

 

 

文春オンライン

2017.10.7

 

 

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