【中学受験必“笑”法】中学受験に「必勝法」はないが「必笑法」ならある。結果を勝ち負けと捉えるのではなく、自分たちが「やって良かった」と思える中学受験にすることが大事。人と比べない中学受験、頑張りすぎない中学受験、子供を潰さない中学受験のすすめ。第1回。
首都圏模試センターによれば、2017年の首都圏における中学受験者総数は推定4万4150人。それに対し、首都圏の中学校の募集定員総数は4万8490人。受験者総数に対する募集定員総数の割合は109.4%。つまり理論上は「学校をえり好みしなければ、どこかには必ず入れる」。中学受験も全入時代なのである。
中学受験が過酷に見えるのは、ごく一部の超難関校の狭き門に受験者が殺到し、文字通りの1点、2点を争うデッドヒートを繰り広げているシーンに注目が集まりやすいからだ。それも中学受験の一つの側面ではあるが、もっといろいろな中学受験への取り組み姿勢があってもいい。語弊を恐れずに言うならば、もっと“ゆるい”中学受験があっていい。
中学受験で最終的に第1志望に合格できる子の割合は、3割にも2割にも満たないと言われている。それを勝ち負けで表したら、あまりに分の悪い勝負である。負け戦といってもいいだろう。「必ず勝たなければならない」と他者との勝負にこだわれば中学受験はどんどん苦しくなる。
でも、人生に勝ち負けなんてないように、中学受験にだって勝ち負けなんて本来はない。合否の結果に関係なく、終わったときに「やりきった」「成長できた」と思って家族で笑顔になれるなら、そして合格した学校に堂々と通えるなら、その中学受験は大成功だ。そして、そうやって中学受験を終えることは、親がちょっとしたコツさえ知っていれば必ずできる。それがこの連載のタイトルでもある「中学受験必“笑”法」だ。
初回につき、前置きが長くなった。今回のテーマは「中学受験勉強はかわいそう?」である。
結論から言う。親が中学受験勉強をかわいそうだと思っているのなら、中学受験はやめたほうがいい。親がそう思っていたら、子供も「自分はかわいそうな小学生」だと自己暗示をかけてしまう可能性が高いから。自分のことをかわいそうだと思いながら前向きに勉強を頑張れる子供などいない。始める前からその中学受験は失敗である。
実際のところ、毎日塾に通うということは6年生でも一般的ではないし、塾のない日に深夜まで勉強するということも、6年生の追い込みの一時期以外にはほとんどない。小5や小4の時点でそこまでやるケースはむしろ、中学受験を失敗するパターンに多い。
たしかに、中学受験勉強をしていればつらくなることはある。しかし、これは勉強に限ったことではないだろう。野球だろうがピアノだろうが、真剣にやれば、つらさも味わう。成長のために欠かせないつらさである。
メジャーリーガーのイチロー選手は、小学生のころ、友達と遊ぶのを我慢して、年間360日、練習に明け暮れたという。いくら野球が好きだからといって、ときにはつらくなかったわけがない。
中学受験生は、イチロー少年がバットを握っていたのと同じくらいの気合で鉛筆を握っている。それなのに、野球少年は称賛され、中学受験生はかわいそうと同情される。中学受験をさせている親を、どこか冷ややかな目で見る風潮もある。おかしい。
はっきり言う。中学受験生はかわいそうなんかじゃない。彼らはたった12歳にして、自分が進むべき道を自分で選びとるために努力することを決意した、勇気ある小学生たちだ。
親や塾の先生、友達たちも支えてはくれるが、最後の最後、試験会場で頼れるのは自分のみ。言い訳はできない。もしかしたら、この努力が報われないかもしれないという不安に打ち勝つために、彼らは、さらに努力を重ねているのだ。
いくつかデータを見ていこう。
ベネッセ教育研究開発センターの「中学校選択に関する調査報告書」(2007年)によれば、中学受験予定の小学6年生に「学校の勉強と塾の勉強のどちらが楽しいですか」と聞いたところ、「ぜったい塾」もしくは「どちらかというと塾」と答えた子供の割合はあわせて64.5%だった。「ぜったい学校」もしくは「どちらかというと学校」の31.6%をダブルスコアで引き離す結果だった。
「学校の勉強と塾の勉強のどちらが将来役に立つと思いますか」の問いに対しては、「ぜったい塾」もしくは「どちらかというと塾」と答えた子どもの割合は合わせて71.7%。「ぜったい学校」もしくは「どちらかというと学校」の合計は26.3%。やはり塾である。
塾での勉強の楽しさを知らず、「学校が嫌だ、勉強が嫌いだ」と言ったまま中学生になってしまう子がいるとしたら、そのほうがかわいそうだと私は思う。それでも「塾通いなんてかわいそう」という大人は、自分の「勉強嫌い」を勝手に子供たちに投影しているだけではないだろうか。
塾通いを始めたら、遊ぶ時間などまったくなくなるのではないか、という心配もあるだろう。これについても、同じ調査結果の中に興味深いデータがある。
習い事はしておらず、塾だけに通う子(以下「塾のみ」)の1日あたりの勉強時間(家庭学習及び塾での勉強時間の合計)は、約175.1分。習い事はしていないし塾にも通っていない子(以下「両方なし」の1日あたりの勉強時間は約53.8分。
「塾のみ」の1日あたりの遊び時間(テレビやビデオを見ている時間及びなんらかの形で自由に遊んでいる時間の合計)は、約98分。「両方なし」の1日あたりの遊び時間は約178.1分。
「塾のみ」の1日あたりの勉強時間と、「両方なし」の遊び時間がほぼ同じ。遊びの時間と勉強の時間がそっくりそのまま入れ替わっている形だ。しかも、「塾のみ」は、「両方なし」が勉強している時間よりも約45分多く遊んでいるのである。どちらが有効な時間の使い方だろうか。
ちなみに、同じくベネッセ教育研究開発センターによる「放課後の生活時間調査」(2008年)によれば、中学受験予定者の1日あたりの平均睡眠時間は8時間9分、そうでない小学生は8時間41分だった。たしかに、中学受験予定者のほうが1日あたり30分ほど睡眠時間は短いが、小学生の適正な睡眠時間とされる8~9時間の範囲内である。
心理学の分野では昔から、11歳くらいまでを「具体的操作期」、11歳くらい以降を「形式的操作期」と呼び、11歳くらいを境に子どもの認知能力が変わることが知られていた。
子供の思考発達段階が、形式的操作期に達すると、抽象的な概念であっても仮説を立てて系統的に理解したり、論理的に物事が考えられるようになったりするというのだ。いわゆる本格的なロジカルシンキングが可能になる。
学習内容に、公約数や公倍数という抽象的な概念が出現するのも、ちょうどこの時期である。現在と未来をつなげて考えて、将来のために頑張るということもしやすくなる。
最近では脳科学的な見地からも、10歳で子どもの脳が大人の脳に変化することが分かってきている。脳科学者の林成之氏の著書「子どもの才能は3歳、7歳、10歳できまる!」(幻冬舎)には、「脳が大人と同程度までに発達したら、いよいよ勉強の適齢期。10歳以降は、脳はほとんど大人と同じになりますから、ガンガン勉強させてかまいません」とある。
必ずしも中学受験をしなければいけないとは思わない。しかしこの時期に、テレビを見たりゲームをしたりしてダラダラ過ごす以外「何もしないという選択」はあり得ないと私は思う。
サッカーが好きならサッカーに打ち込むも良し、将棋が好きならば将棋に打ち込むも良し、ピアノが得意ならピアノを極めるのも良し、ゲームを真剣にやるのならそれも良いだろう。これという特定分野がないのなら、将来どんなことにも役に立つ勉強に打ち込むのでもいいではないか。
ここまで説明しても、「小学生のうちくらい、思い切り遊んでおいたほうがいい」という声があるだろう。それには半分賛同するが、半分賛同しない。なぜなら思い切り遊んだほうがいいのは小学生のうちだけではないからだ。
中学生になったら、小学生のとき以上にもっと思い切り遊ばなければならない。そのために、中高一貫校に入るのだと言っても過言ではない。そのことについては、この連載の別の機会にまた述べることとする。
読売新聞から転載
2017.9.7